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2015年5月10日 (日)

最後まで寄り添い合うことができた幸せ

みみちゃんがお空へ旅立ってから2週間ちょっとが経ちました。あの日のことがすでに遠い昔のことのように感じるけれど、まだ2週間なんだね。

連休中5月4日の穏やかな晴天の日、みみちゃんのお骨を庭に埋葬し、みみちゃんは土に還りました。

リビングからもみみちゃんの和室からも玄関からも駐車場からもよく見える場所、周りにはお花がいっぱい咲いて、ブロッコリーの花壇も見渡せるし、鳥さんもたくさん遊びに来るし、きっとみみちゃんも寂しくはないよね。

 

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もう少しの期間お骨を自分のそばに置いておきたいという気持ちもあったけれど、小さな骨壺の中に閉じ込めておくよりもなるべく早く大きな自然に還してあげたほうがみみちゃんのためではないかという思いのほうが勝りました。

 

みみちゃんの生前は、みみちゃんがいなくなってしまったら私は自分が半狂乱になり廃人のような状態になるのではないかと自分でも心配していたけれど、意外にも普通に生活できています。もちろん悲しみや寂しさでいっぱいですが、ご飯もきちんと食べてるしテレビも見てるし友達と遊びにも行くし、一日中何も手につかないとか眠れないとか号泣して取り乱したりすることもありません。そうすることができているのは、多分、みみちゃんが余命宣告後の最後の5か月間を一生懸命に生きて、これ以上ないというくらい私とみみちゃんはそばにいて、たくさん話をして、たくさん触れ合って、たくさん感謝の気持ちを伝えて、たくさんの幸せを噛みしめて、きわめて濃密な、息苦しいほどの密度の濃い甘美で穏やかな時間を過ごすことができ、悔いのないレベルまで寄り添い尽くすことができたからだと思います。

 

余命3か月の宣告をされたのが2014年11月30日。おそらく、私の「ペットロス」はその時点が最大だったのだと思います。

肝臓疾患で、もうどうすることもできないと言われ、最終的には安楽死という選択肢もあるとまで言われ、その時点での私の衝撃は計り知れないほどのものでした。あの時期のことは今も思い出したくない。12月は精神状態が極めて不安定で、頑張ってみようと思ったりもうだめだと悲観的になってみたり、誤診だと怒ってみたり、いっそのことみみちゃんと私が一緒に旅立てばどちらも幸せなんじゃないかとさえ考えたり。まぶたの腫れが引くこともないままほぼずっと泣いて過ごした12月。

でも、そんなボロボロの私を慰め救ってくれたのは、ほかでもないみみちゃんでした。

泣いている私の顔を見ると、悲しそうな顔をしたみみちゃん。「泣かないで」と言っているようでした。「あたち、元気だから、みっきぃちゃんも元気出して」そう言ってるみたいに、私の前で一生懸命牧草を食べたりおやつをねだってみたり、私に笑顔を与えてくれたのはみみちゃんでした。

みみちゃんの前では泣かない、私はそう決めました。私の涙の理由が自分にあると思わせるわけにはいかない。一生懸命生きようとしているみみちゃんに、私も最後まで一生懸命生きるお手伝いをしよう、みみちゃんには楽しくて幸せで温かい思い出だけを残してあげたい、私の笑顔だけを記憶していてほしい、そう思いました。

 

いつ「その時」が来るのかという恐怖と不安が常にまとわりつく中、みみちゃんは12月、1月、2月といつもと変わることなくとても元気に食欲旺盛に過ごしてくれ、私はみみちゃんと共にとても穏やかで幸せな時間を過ごすことができました。

寒い冬が終わり、余命3か月と言われていた2月末も超え、だんだんと暖かくなり春の気配が漂い始めた3月12日。肝臓疾患の代表的な症状である「黄疸」の症状が尿に現れました。ものすごく鮮明なオレンジ色の尿。検査の結果、肝臓の数値を表すビリルビンがプラス。

ついに来たか・・・、という感じ。

以前日記にも書きましたが、この時点で私の心は「覚悟」を決めたのだと思います。余命宣告を受けた時ほどのショックや落胆はありませんでした。「諦め」とは違います。「覚悟」というか、「納得」という言い方がいいのかもしれません。

みみちゃんは、5か月という期間をかけて少しずつ少しずつ、私のショックが和らぐように、そして私が現実をきちんと冷静に「納得」して受け入れられるように、その間ずっと私のそばに寄り添っていてくれて、そういう旅立ちの仕方を選んでくれたのだと思います。私は自分が病気のみみちゃんに寄り添っていると思っていたけれど、そうではなくて、みみちゃんもまた私の心の痛みを和らげるために私のそばに最後の5ヶ月間を寄り添ってくれていたのです。

 

 

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幸いにも、黄疸の症状が出たのは尿だけで、皮膚や白目が黄色くなったりすることもなく、肝臓疾患の代表的な症状である「食欲不振」も「倦怠感」も見受けられませんでした。ただ最後の10日間くらいは便が白っぽくなり、肝臓からくる胆管のほうへ病気が広がったのかもしれません。

みみちゃんは私の前でいいところを見せようと頑張っていたのかもしれないけれど、傍から見れば病気なんて嘘なんじゃないかというくらい、元気に遊びまわったしご飯もおやつもいっぱい食べました。

息を引き取るほんの十数分前まで、自分のお口を動かしてパイナップルを食べていました。本当に立派なうさぎさんです。

 

安楽死という選択肢も病院で提示されましたが、私はその選択をすることはどうしてもできませんでした。

たとえ最期の瞬間にみみちゃんが苦しむことがあっても、そしてそれを見守る私自身も身が引きちぎれるほどの苦痛と悲しみに襲われたとしても、住み慣れた自宅で、安心できる静かな場所で、家族が見守る中、家族のぬくもりの中で旅立ってほしい、そう思っていました。そうすることがこの12年近く私がみみちゃんにしてきたどんなことよりも一番の務めであり飼い主としての最大の責任だと思っていました。

最期の瞬間、みみちゃんはほんの一瞬は苦しんだかもしれないけれど、家族の手のぬくもりの中で旅立たせてあげることができたこと、そして最後の5ヶ月間をこれ以上ないというくらいそばにいて穏やかな時間を共有できたことは、私にとってもそしてみみちゃんにとっても最良の形だったと信じているし、悔いはありません。だからこそ、いま私は悲しみの中にありながらも穏やかな気持ちで過ごすことができているのだと思います。

 

 

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あるお友達が言ってくれました。「みみちゃんはみみちゃんの命の限りをすべて燃やし尽くしたのだ」と。

少しでも長く生きてほしい、12歳、13歳、14歳…。そう思うのは飼い主としての自然の願い。でも、いま私は「みみちゃんはみみちゃんの寿命を全うしてくれた」という満足感のような気持ちです。それ以上でもそれ以下でもない、みみちゃんはみみちゃんの寿命をすべて命の限り燃やし尽くして旅立った。そう思っています。

そして、私とみみちゃんは最後までお互いがお互いのことを思いやり、お互いに寄り添い合うことができた、そう思っています。

みみちゃんという可愛いうさぎさんに出会えてたくさんの温かい時間を共有できたこと、みみちゃんという賢くて優しいうさぎさんとこれほどまでの深い絆を結ぶことができたこと、私は本当に幸せ者です。

 

 

今日で最後の更新にしようと思っていましたが長くなってしまいました・・・。

次回、このブログの最後の記事を書こうと思います。

8年以上も続けてきたブログを終えるのは寂しい気持ちでいっぱいですが、このブログの主役はみみちゃんであり、みみちゃんの旅立ちによりこのブログも「最終話」の時を迎えました。

 

 

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